さむしろのしたまつ事も絕えぬれば
置かむかただになきぞ悲しき
- 歌の意味
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狭筵の下でひそかに待つことも絶えてしまったので、置きどころさえないのが悲しい。
- 鑑賞
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忌みが果てたので例の所へ移って、まして所在ないままにいる。長雨になったので草が生い立っているのを、行いの合間に掘らせなどする。あきれた人が、我が家の門の前を、例のきらきらしく追い散らして通る日がある。行いをして座っているところへ、おいでになるおいでになる、と騒ぎ立てるので、例のように立ち寄られるのだろうと思って胸がつぶつぶと走るのに、引き過ぎてしまったので、皆その顔を見つめて黙り込んでいた。作者はまして二時三時までものも言えない。六月一日の日、御物忌みだけれど帝の御下からも、といって文がある。不思議に珍しいと思って見ると、痛みは今はもう過ぎただろうか、いつまでいる住まいなのか、たいそう不都合そうであったので行けなかった、物詣でをして穢れが出てきてとどまった、などとある。心憂さもまさったけれど堪えて返事を書いた。さてこうしてさえ思い出されるのも煩わしく、先のように悔しいこともあろう、やはりしばらく身を避けようと思い立って、西山に例の物する寺があるからそこへ行こう、あの物忌みの果てないうちにと、四日に出立する。物忌みも今日は明けるだろうと思われるので、心あわただしく思いながら物を取りしたためなどしていると、上筵の下に、朝に飲む薬というものが畳紙の中に差し入れてあったのが、ここに行き帰るまで残っていた。誰かれが見つけて、これは何だろうと言うのを取って、そのまま畳紙の中にこう書いた。文には、身をさえ変えねばとは言うようだけれど、前をお通りにならない世界もあろうかと思って今日出立します、これも不思議な問わず語りになってしまいました、と書いて、幼い人が籠りきりの間の消息を申し上げに行くというのにことづけた。もし尋ねられるようなことがあれば、これは書き置いて早くも出て行きました、置いて退出せよとおっしゃいました、と申し上げよ、と言って持たせた。兼家は文を見て、心あわただしく思われたのだろう。返事には、万事もっともなことではあるけれど、まずどこへ行かれるのか、このごろは行いにも不都合であろうに、今度ばかりは言うことを聞くと思って、ともあれ相談すべきこともあるので、ただ今そちらへ行く、と書いて歌があり、たいそうつらいことです、とあった。それを見ると、いっそう急ぎまさって出立してしまった。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。幼き人は作者の子の藤原道綱。西山の例の物する寺は鳴滝にある寺で、以後の山籠りの舞台となる。畳紙は懐に入れて携える紙で、物を包んだり書きつけたりするのに用いる。
天禄二年六月四日のことで、場所は作者の住まいである。
西山の寺へ出立しようと物を取りしたためていると、上筵の下に、朝に飲む薬が畳紙の中に差し入れてあったのが、そのまま残っていた。誰かれが見つけて、これは何だろうと言うのを取って、その畳紙にそのまま書きつけた歌である。
文を添えて幼い人にことづけると、兼家は心あわただしく思ったのだろう、ただ今そちらへ行く、と書いて「あさましやのどかにたのむとこのうへをうちかへしける波の心よ」と返してきた。それを見ると、作者はいっそう急ぎまさって出立してしまった。
初句の「さむしろの」は狭い筵のことで、薬が置かれていたその上筵をそのまま歌の入口に据える。二句の「したまつ」は、心のうちでひそかに待つ、の意であるが、筵の下という場所の意をも兼ねており、薬が筵の下にあったという実際の在りようが、そのまま隠れて待つ心の姿になる。三句の「絕えぬれば」は、絶えてしまったので、の意で、待つことさえもうなくなったという。四句の「置かむかた」は、置く場所、の意で、薬の置き所を言いながら、身の置き所をも兼ねる。結句の「なきぞ悲しき」は「ぞ」の結びで、置きどころさえないことの悲しさを言い切る。行き帰りするあいだ手つかずのまま残されていた薬という、日々の暮らしの些細な物に目をとめ、その置き場所から身の置き場所へ話を運んでおり、上巻の泔坏の水に通じる詠み方である。出立の支度のさなかに見つけた物にその場で書きつけたという経緯が、この一首の切迫した調子をよく説明している。
さむしろ:狭い筵。敷物。
したまつ:心のうちでひそかに待つ。
たゝう紙(たたうがみ):懐に入れて携える紙。物を包んだり書きつけたりするのに用いる。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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