しもつけや桶のふたくらをあぢきなき
かげもうかばぬ鏡とぞ見る
- 歌の意味
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下野の二荒ではないが、桶の蓋を、味気なくも、影さえ浮かばない鏡と見ることだ。
- 鑑賞
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年が改まって天禄三年になった。年頭の決意をあれこれと思い定めるうちに、正月八日に兼家が訪れる。翌日、帰るときに、兼家に従う者が作者の侍女に歌を詠んで送った。侍女はそれに応え、桶の蓋に酒と肴を入れて従者に返した。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、この年に大納言となる。のちに摂政関白太政大臣に至る。従者は兼家に従う者、侍女は作者に仕える者で、原文はいずれも人名を記さない。
天禄三年正月九日のことで、場所は作者の住まいである。
正月八日に兼家が訪れ、翌日帰るときに、兼家に従う者が作者の侍女に詠んで送った歌である。
侍女はこれに応え、桶の蓋に酒と肴を入れて、「さし出でたるふたくらを見れば身を捨てゝこのむは玉のこぬと定めつ」と返した。
初句の「しもつけや」は下野の国の名で、その国にある二荒の山を呼び出すために置かれている。二句の「ふたくら」は桶の蓋のことで、その音が二荒と響き合い、国の名から手近な器物へと一息に降りてくる。歌枕を持ち出しておきながら着地するのが桶の蓋であるところに、下々の者どうしのやりとりにふさわしい軽さがある。三句の「あぢきなき」は、味気ない、どうしようもない、の意で、次の景を導く。四句の「かげもうかばぬ」の「かげ」は水や鏡に映る姿のことで、蓋を鏡に見立てながら、そこに映るはずの人の姿が見えないと言う。結句の「鏡とぞ見る」は「ぞ」の結びで、そう見えるのだと言い切る。逢えないことを、姿の映らない鏡という一点に絞って訴える形であり、手近にあった桶の蓋をそのまま歌の素材にしている。主人たちの贈答とは別に、従う者どうしの歌が書きとどめられている点は、鳴滝籠りの折に侍女たちの贈答が記されたのと通じる。
しもつけ:下野国。「二荒」を導く。
ふたくら:桶の蓋。下野の「二荒」を響かせる。
かげ:水や鏡に映る姿。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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