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置き添ふる露に夜な夜な濡れこしは
思ひのなかにかわくそでかは

歌の意味
置き添う露に夜ごと濡れてきたこの袖は、思いの火の中にあっても乾く袖でしょうか。
鑑賞
 子が道綱ひとりでは心細いので、養女が欲しいと知人に相談すると、兼家と源兼忠の女との間に、かわいらしい十二三歳の娘がいるという。その娘を養女に引き取ることになった。その兼家と兼忠の女とが、かつて交わした歌が伝えられている。まず兼家が詠み、女が応じ、さらにしばらくして、兼家の返歌に対して女がもう一首を詠んだ。
 作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。娘の母は源兼忠の女とされるが、原文は人名を記さない。養女として迎えられた娘は十二三歳であった。
 天禄三年、養女を迎えることになったころに伝えられた、昔の贈答の一首である。場所は原文に明示されない。
 最初の贈答からしばらくして、兼家の返歌に対して詠まれた歌である。
 この三首をもって昔の贈答の引用は終わり、養女の裳着の計画や近い所の火事などの記述へと移っていく。

 初句の「置き添ふる露」は、次々に置き加わってゆく露のことで、涙のたとえとして用いられる。二句の「夜な夜な」は毎夜、の意で、夜ごとに涙で袖が濡れてきたことをいう。三句の「濡れこしは」は、濡れてきたこの袖は、の意で、以下の問いへ渡す。四句の「思ひのなかに」の「思ひ」は、その「ひ」に火が掛かり、思いの火の中に、という意になる。この一語が歌の要にあたる。露に濡れた袖と、思いの火とが向かい合わされ、火の中でも乾かないという理屈が立てられる。結句の「かわくそでかは」の「かは」は反語で、乾く袖でしょうか、いや乾きはしません、の意になる。火があれば濡れたものは乾くはずだという常識を持ち出したうえで、それでも乾かないと言うことによって、涙の量の多さを言いあらわす形である。この火と水の取り合わせは、上巻の「思ひあらばひなましものをいかでかは返す衣のたれもぬるらむ」と同じ発想に立っており、日記の各所で繰り返される型にあたる。

露(つゆ):涙のたとえ。
思ひ:「ひ」に「火」を掛ける。
夜な夜な:毎夜。
出典
蜻蛉日記
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