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いかなれやしぎのはねがきかき知らず
思ふかひなき聲に鳴くらむ

歌の意味
どうしたことだろう。鴫の羽掻き、その数も掻き知らないままに、思う甲斐もない声で鳴くのだろうか。
鑑賞
 閏二月十六日、兼家が訪れてそのまま帰り、その後九日ほど音沙汰がなかった。珍しいことに、作者のほうから兼家に歌を詠み送った。それに対して兼家が返した。
 作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。鴫の羽掻きは、鴫が嘴で羽をしごく動作をいい、夜明けに繰り返すとされて、待つ夜の数をかぞえる比喩に用いられる。
 天禄三年閏二月のことで、場所は兼家のもとである。
 九日ほど音沙汰がなかったのを、鴫の羽掻きになぞらえて数え立ててきた作者の歌に対する返しである。
 この贈答ののち、八幡の祭や隣の火事などの記述をはさんで、四月の三輪の山の贈答へと移っていく。

 相手の「しぎ」「はねがき」をそのまま受けて返している。初句の「いかなれや」は、どうしたことだろう、と問う形で、相手の嘆きを不審がる構えから入る。二句から三句の「しぎのはねがきかき知らず」の「かき」は、羽掻きの掻きであるとともに、数え上げるという意の掻き数えの掻きにも通じ、その数も知らないままに、という意になる。相手が数えたと言ってきたのに対し、こちらは数など知らないと受け流す形である。四句の「思ふかひなき」は、思ってみても甲斐のない、の意で、鴫の鳴き声にその形容を与える。結句の「聲に鳴くらむ」は推量で、そのような声で鳴くのだろうか、と結ぶ。数を数え立てた相手に対し、数を知らぬまま鳴く鳥のことにすり替えており、絶え間の長さそのものには答えない。上巻以来、兼家の返しは相手の語をすべて受けながら意味をずらすという形を取り続けており、ここでもその型が守られている。

はねがき:鴫が嘴で羽をしごく動作。
かき:「羽掻き」の「掻き」に、数え上げる意を響かせる。
なく:「鳴く」に「泣く」を掛ける。
作者
藤原兼家
出典
蜻蛉日記
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