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わりなくもすぎ立ちにける心かな
三輪の山もとたづねはじめて

歌の意味
どうしようもなく、度を過ぎて立ってしまった心であることよ。三輪の山本を尋ね始めて。
鑑賞
 四月のある日、知足院へ道綱を連れて出かけた。その帰り、高貴な女車を見つけ、道綱がその後を追いかけて行って、三輪の山本にある家を尋ね当てた。翌日、道綱がその女性に歌を贈る。女性は何のことだか分からないと言ったが、それでも道綱が重ねて詠み贈ると、女性が返した。
 作者は藤原倫寧の娘。道綱は作者の子で、この年十八歳。相手の女性は原文が大和だつ人と呼ぶのみで、人名を記さない。三輪の山は大和の歌枕で、杉を目印に人を訪ねる古歌によって知られる。
 天禄三年四月のことで、場所は三輪の山本にある女性の家である。
 前日に贈った歌に対し、女性が何のことだか分からないと言ったので、それでも重ねて詠み贈った歌である。
 これに対して女性が「三輪の山まち見る事のゆゝしさに杉立てりともえこそ知らせね」と返した。

 初句の「わりなくも」は、どうしようもなく、道理に合わないほどに、の意で、抑えのきかない心を先に置く。二句の「すぎ立ちにける」の「すぎ」は、度が過ぎる意の「過ぎ」であるとともに、三輪の山の杉を掛けた語で、この一語が歌の要にあたる。「立つ」も、心が立つ意と杉が立つ意とを兼ねる。三句の「心かな」で詠嘆し、四句の「三輪の山もと」へ渡す。三輪の山は大和の歌枕で、我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門、という古歌によって、杉の立つ門を目印に人を訪ねる場所として知られる。相手の家が三輪の山本にあったという事実が、そのままこの本歌を呼び出す形になっている。結句の「たづねはじめて」は、尋ね始めて、の意で、言いさしたまま終わる。何のことか分からないと言われたのに対し、地名と古歌とを持ち出して、訪ねるべき家は分かっているのだと示す返しであり、初めの一首よりも一歩踏み込んだ形になっている。

すぎ:「過ぎ」に「杉」を掛ける。
三輪の山:大和の歌枕。杉の立つ門を目印に人を訪ねる古歌で知られる。
わりなし:道理に合わない。どうしようもない。
作者
藤原道綱
出典
蜻蛉日記
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