露にのみいろもえぬれば言の葉を
いくしほとかは知るべかるらむ
- 歌の意味
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露によってだけ色が燃え出たのなら、その言の葉を、幾入りの染めとどうして知ることができましょう。
- 鑑賞
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六月になった。蝉の声を聞くころ、道綱が例の女性へ、そばの紅葉の混じった枝に付けて歌を詠み贈った。女性がそれに応えて返した。
作者は藤原倫寧の娘。道綱は作者の子。例の女性は大和だつ人と呼ばれる人で、原文は人名を記さない。そばは山地に生える木で、夏のうちから葉が色づくことがあり、時ならぬ紅葉として歌に詠まれる。
天禄三年六月のことで、場所は三輪の山本にある女性の家である。
そばの紅葉を添えて、嘆きの色も燃え出たと詠み贈ってきた道綱の歌に対する返しである。
この贈答ののち、盆の嘆きと死のさとしをはさんで、八月も過ぎたころ、自筆をめぐる白い紙の贈答へと移っていく。
相手の「露」「いろ」「もゆ」をそのまま受けて返している。初句から二句の「露にのみいろもえぬれば」は、露によってだけ色が燃え出たのなら、の意で、「のみ」が限定を示す。相手は露が深いから色づいたと言ったのだが、こちらはそれを、露だけが原因なのならと条件に立て直している。三句の「言の葉を」の「言の葉」は言葉であるとともに木の葉をも意味し、相手の詠んだ紅葉した葉と、書き送ってきた言葉とが一語に重なる。この一語が歌の要にあたる。四句の「いくしほ」の「しほ」は染色で染め汁に浸す回数のことで、幾度染めたかを問う言い方になる。染めの回数が多いほど色は濃いから、言葉の深さを染めの度数で測るという理屈が立つ。結句の「知るべかるらむ」は「かは」の反語を受け、知ることができましょうか、いやできません、の意になる。露のせいで色づいただけなら、その言葉がどれほどの思いで染められたものかは分からない、と言うことで、訴えの真偽を測りかねると答える形になっており、断りとも受け取れる余地を残している。
しほ:染色で染め汁に浸す回数。
言の葉:言葉。「葉」により木の葉の縁語となる。
露(つゆ):草木を染めるものとされた。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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