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たぢまのやくぐひのあとを今日見れば
雪の白濱白くては見じ

歌の意味
但馬の、鵠の跡を今日見ると、雪の白浜のように、白いままでは見まいと思う。
鑑賞
 盆のころの嘆きがあり、死のさとしを得て沈黙する日々が続く。八月も過ぎて、道綱は、例の女性からの返事がどれも自筆のものとは思えず、恨みながら歌を詠み贈った。女性は白い紙に書いて返し、道綱がさらに返す。以後、返事の来ないたびに道綱が詠み贈る歌が続く。
 作者は藤原倫寧の娘。道綱は作者の子。例の女性は大和だつ人と呼ばれる人で、原文は人名を記さない。当時、女の返事は側の者が代わって書くことも多く、自筆であるかどうかは相手の心のほどを測る手がかりとされた。
 天禄三年八月も過ぎたころのことで、場所は三輪の山本にある女性の家である。
 前の歌に対し、女性からは、暗くなったのでと言って返事がなかった。その翌日、女性が白い紙に書いて返してきたことを思い出して詠み贈った歌である。
 これに対しても女性からは、外出中ですと言って返事がなく、翌日、道綱が返事をくださいと言うと、古めかしい歌の気がしたので返事はしません、と言われた。

 初句の「たぢまのや」は但馬の国の名で、次の「くぐひ」を導くために置かれている。二句の「くぐひ」は白鳥の古名で、白い鳥であるから、白という色を歌のうちに立てる働きをする。三句の「あとを今日見れば」の「あと」は鳥の足跡であるとともに筆跡をも意味し、この一語が歌の要にあたる。白鳥の足跡と、白い紙に記された筆跡とが重なる。四句の「雪の白濱」は雪の積もった白い浜のことで、白鳥、雪、浜と白いものを三つ重ねたうえで、白い紙そのものを言いあてる形になる。結句の「白くては見じ」は、白いままでは見まい、の意で、白い紙のままの返事では見る気になれない、すなわち相手の言葉らしい言葉がほしいという訴えになる。相手が白い紙を用いたという一点を、地名から鳥へ、鳥から雪と浜へと三つ重ねて言いあらわしており、色の一致だけで組み立てられた歌である。この作りを女性は古めかしいと評して返事をしなかったと地の文は記す。

くぐひ:鵠。白鳥の古名。
あと:足跡。転じて筆跡。
白濱(しらはま):白い砂浜。ここでは白い紙をたとえる。
作者
藤原道綱
出典
蜻蛉日記
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