年を經てなどかあやなく空にしも
花のあたりを立ちは染めけむ
- 歌の意味
-
年を経て、どうしてわけもなく、上の空のままで、花のあたりに立って染まったりしたのでしょう。
- 鑑賞
-
年が改まって天延元年になった。このころ兼家の訪れは頻繁である。二月になり、紅梅が美しく咲き匂っていたので、道綱が紅梅を折って例の女性へ詠み贈った。女性がそれに応えて返した。
作者は藤原倫寧の娘。道綱は作者の子で、この年十九歳。例の女性は大和だつ人と呼ばれる人で、原文は人名を記さない。紅梅は色の濃い梅で、二月に咲く。
天延元年二月のことで、場所は三輪の山本にある女性の家である。
紅梅を折り添えて、袂も花の色に染まったと詠み贈ってきた道綱の歌に対する返しである。
この贈答ののち、三月になっても道綱の文のやりとりは不慣れなままで、作者自身が女性に「みがくれのほどゝいふともあやめ草なほしたからむ思ひあふやと」と詠み送ることになる。
相手の「年」「花」「染む」をそのまま受けて返している。初句の「年を經て」は相手の二句を置き直したもの。二句の「などかあやなく」は、どうしてわけもなく、の意で、筋の通らないことをしたものだ、と咎める調子になる。三句の「空にしも」の「そら」は空であるとともに、上の空である意をも兼ねており、この一語が歌の要にあたる。花のあたりの空という景と、心が上の空であるという状態とが重なる。四句の「花のあたりを」は、花の咲くあたりを、の意。結句の「立ちは染めけむ」の「たつ」は、その場に立つ意であるが、衣を裁つ意をも響かせ、次の染めるという語と結びついて染色の場面を作る。裁って染めるという言い方によって、袖が染まったという相手の訴えが、意図してそうしたことのように言いなされる。自然に色が移ったのではなく、わざわざ花のそばに立って染めたのだろう、という受け取り方であり、訴えを本気にしないという返し方になっている。
そら:「空」に、上の空である意を掛ける。
たつ:その場に「立つ」に、衣を「裁つ」意を響かせる。
あやなし:筋道が立たない。わけが分からない。
- 出典
-
蜻蛉日記
- その他の歌
-