うちとけて今日だに聞かむ時鳥
しのびもあへぬときは來にけり
- 歌の意味
-
心を許して、せめて今日だけでも聞きたい、ほととぎすの声を。忍びきれない時が来たのだった。
- 鑑賞
-
五月になった。道綱が例の女性に、ほととぎすに寄せて詠み贈り、女性が返した。さらに五月五日の菖蒲の節句には、道綱が菖蒲草に寄せて詠み贈り、女性がまた返した。
作者は藤原倫寧の娘。道綱は作者の子で、この年十九歳。例の女性は大和だつ人と呼ばれる人で、原文は人名を記さない。五月五日は端午の節句で、軒に菖蒲を葺き、薬玉を飾る日にあたる。
天延元年五月のことで、場所は三輪の山本にある女性の家である。
五月になり、道綱が例の女性にほととぎすに寄せて詠み贈った歌である。
これに応えて女性が「時鳥かくれなき音を聞かせてはかけはなれぬる身とやなるらむ」と返した。
初句の「うちとけて」は、心を許して、警戒を解いて、の意で、相手の側に望む態度をまず置く。二句の「今日だに聞かむ」は、せめて今日だけでも聞きたい、の意で、「だに」が最小限を示す。三句の「時鳥」は夏の初めに鳴く鳥で、その声を聞くことがこの季節の楽しみとされた。四句の「しのびもあへぬ」の「しのぶ」は、人目を忍ぶ意と、こらえる意とを兼ねた語で、この一語が歌の要にあたる。ほととぎすが忍び音でしか鳴かない時季を過ぎたという季節の話と、こちらももう忍びきれないという心の話とが、一語のうちで重なる。結句の「ときは來にけり」は、その時が来たのだった、と気づきの調子で結ぶ。季節が変わったことを口実に、隠していた思いを表に出そうとする形であり、ほととぎすの初声を待つという季節の習いを、そのまま恋の訴えに転じている。作者が前年に詠んだ「我ぞげにとけてぬらめや郭公ものおもひまさる聲となるらむ」と、同じ鳥を用いながら向きが正反対である点も見どころにあたる。
時鳥(ほととぎす):夏の初めに鳴く鳥。その初声を聞くことが季節の楽しみとされた。
しのぶ:人目を忍ぶ。こらえる。
うちとく:心を許す。うちとける。
- 作者
-
藤原道綱
- 出典
-
蜻蛉日記
- その他の歌
-