古典和歌stream

我が袖のこほりは春も知らなくに
こゝろとけても人の行くかな

歌の意味
我が袖の氷は春が来たことも知らないのに、心解けて行く人もあることよ。
鑑賞
 知人に誘われて物詣でに出かけた。その帰り道に、つららの氷を食べながら歩いている女がいたので、どうして食べるのかと問うと、食べなければ願い事が叶わないからと答える。縁起でもないことだ、とつぶやいて歌を詠んだ。
 作者は藤原倫寧の娘。氷を食べれば願いが叶うというのは当時の俗信で、原文はその女が誰であるかを記さない。祓は穢れを水に流して清める行事で、この段では物詣でとあわせて記される。
 天延二年の春の初めごろで、場所は物詣での帰り道である。
 知人に誘われて物詣でに出かけた帰り、つららの氷を食べながら歩いている女がいた。どうして食べるのかと問うと、食べなければ願い事が叶わないからと答える。縁起でもないことだ、とつぶやいて詠んだ歌である。
 誰かに贈られたものではなく、心のうちにとどまった。このあと正月十五日の地震の夜、鶯を待つ独詠の場面へと移っていく。

 初句から二句の「我が袖のこほり」は、涙が凍って袖にとどまったものをいう。涙を氷に見立てるのは、冷えきった心をあらわす常套の言い方である。二句の「春も知らなくに」は、春が来たことも知らないのに、の意で、季節は移っても我が身は変わらないことをいう。四句の「こゝろとけても」の「とく」は氷が解ける意と、心が解ける意との掛詞で、この一語が歌の要にあたる。目の前で氷を口にする女の姿から、解けるという一語が呼び出され、それが自分の解けない心と対比される。結句の「人の行くかな」は、そうして行く人もあることよ、の意の詠嘆で、願いを叶えようとして氷を食べながら歩いてゆく女の姿をそのまま結ぶ。願を懸けて氷を食べる女と、涙の氷が解けないままの自分とが、解けるという一語をはさんで向かい合う形になっており、道で見かけた他人の振る舞いから、そのまま自分の身の上へ折り返している。

とく:氷が「解く」に、心が「解く」意を掛ける。
こほり:氷。ここでは凍った涙をたとえる。
ものまうで:社寺に参詣すること。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
その他の歌