問ふこゑはいつとなけれど郭公
あけてくやしきものをこそ思へ
- 歌の意味
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訪ねる声はいつと定まらないけれど、時鳥は、明けてしまって悔しい思いをすることです。
- 鑑賞
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約束の四月二十二日の夜、右馬頭が訪れて、せめて御簾の中に入れていただき、姫君とお話できないだろうかと作者に願うけれども、それも叶わない。右馬頭は松明も持たずに帰って行った。その翌朝、作者が歌を詠み送り、右馬頭が返した。
作者は藤原倫寧の娘。右馬頭と呼ばれるのは兼家の弟にあたる人で、原文は官職名のみを記す。底本の傍注は藤原遠度とする。御簾は室内と外とを隔てる簾で、その内に入れるかどうかが親しさの度合いを示した。
天延二年四月二十三日のことで、場所は右馬頭のもとである。
帰り道の山路は木暗かったであろう、と気遣って詠み送ってきた作者の歌に対する返しである。
この贈答ののち、右馬頭はなお思いを訴え続け、道綱を頻繁に呼び寄せる。やがて道綱が持ち帰った女絵に、作者が歌を書きつける場面へと移っていく。
相手の「郭公」をそのまま受けて返している。初句から二句の「問ふこゑはいつとなけれど」は、訪ねる声はいつと定まっていないけれど、の意で、また訪ねようとも言わずに帰ったと言われたのを受け、時鳥の声に定まった時がないのと同じだと言いなす。三句の「郭公」で自らをその鳥に擬し、四句の「あけて」へ渡す。「あく」は夜が明ける意であるが、御簾を開ける意をも響かせており、この一語が歌の要にあたる。御簾の中に入れてもらえないまま夜が明けたという前夜の顛末が、開くと明けるの二重の意に収まる。結句の「くやしきものをこそ思へ」は「こそ」の結びで、悔しい思いをする、と言い切る。相手が帰り道の暗さを気遣ってきたのに対し、こちらは暗さには触れず、明けてしまったことの悔しさを述べており、気遣いを受けながら不首尾そのものを訴え返す形になっている。上巻の「歎きつゝ一人ぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る」でも明くると開くとが重ねられており、閉ざされた戸を前にした歌の型がここでも用いられている。
あく:夜が「明く」に、御簾を「開く」意を響かせる。
郭公(ほととぎす):夏の初めに鳴く鳥。
御簾(みす):室内と外とを隔てる簾。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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