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さゝがにのいづこともなく吹く風は
かくてあまたになりぞすらしも

歌の意味
蜘蛛の糸は、どこからともなく吹く風に、こうして幾筋にも分かれてしまうらしい。
鑑賞
 右馬頭はたびたび道綱を呼び寄せては放さない。道綱は右馬頭の家にあった美しい女絵を持ち帰った。釣殿に寄りかかりながら、中島の松をじっと見つめている女を描いたものである。作者はその絵に歌を詠んで貼り付けた。同じ絵のうち、一人暮らしをしている男が、手紙を途中まで書いたまま頬杖をついて物思いに耽っている場面にも、歌を詠んで貼り付けた。この歌を貼り付けた絵を、道綱は右馬頭の家に持って行って置いてきた。
 作者は藤原倫寧の娘。道綱は作者の子。右馬頭と呼ばれるのは兼家の弟にあたる人で、原文は官職名のみを記す。底本の傍注は藤原遠度とする。女絵は女性の生活の場面を描いた絵で、そこに歌を書きつけて贈るのは当時の遊びの一つであった。
 天延二年のことで、場所は作者の住まいである。
 道綱が右馬頭の家から持ち帰った女絵のうち、一人暮らしをしている男が、手紙を途中まで書いたまま頬杖をついて物思いに耽っている場面に、作者が詠んで貼り付けた歌である。
 この歌を貼り付けた絵を、道綱は右馬頭の家に持って行って置いてきた。このあと兼家の不思議な邪推があり、作者は「今さらにいかなる駒かなつくべきすさめぬ草とのがれにし身を」を詠むことになる。

 初句の「さゝがに」は蜘蛛、またその糸をさす古い歌語で、この日記では上巻以来、細くはかない通い路のたとえとして繰り返し用いられてきた。書きさしの手紙を前にした男の絵に添えるのだから、糸のように細く続く便りという含みが働く。二句の「いづこともなく」は、どこからともなく、の意で、三句の「吹く風」へ続ける。風はここでも、思いがけず物事を乱すものとして置かれる。四句の「かくて」は、こうして、の意で、絵に描かれたそのありさまを指す。結句の「あまたになりぞすらしも」は、幾筋にも分かれてしまうらしい、の意で、風に吹かれた蜘蛛の糸が乱れて散る景をいう。手紙を書きさしたまま物思いに沈む男の姿を、風に乱される蜘蛛の糸に重ねており、書こうとする言葉が定まらずに散ってしまうさまが言いあらわされる。前の一首が女の絵に待つ心を読み取ったのに対し、こちらは男の絵に迷う心を読み取っており、二首で一組の見立てになっている。二首を貼った絵が求婚者のもとへ戻されることを思えば、待つ側と迷う側とを並べて示したことにもなる。

さゝがに:蜘蛛。また蜘蛛の糸。
あまた:数多く。幾筋にも。
女絵(をんなゑ):女性の生活の場面などを描いた絵。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
その他の歌