年月のめぐりくるまのわになりて
思へばかゝるをりもありけり
- 歌の意味
-
年月がめぐり来る、その車の輪になって、思えば、こうした折もあったのだった。
- 鑑賞
-
八月に疱瘡が流行して、この辺りにも及び、佐は言いようもなく重く患った。九月の朔日にようやく快復する。佐が外歩きを始めた日、道で、例の文を送っていた所の車と行き合ったが、どうしたことか、車の頭が引っかかって難儀したという。その翌日、あちらから、昨夜はまったく気づきませんでした、と言って歌が届いた。それを取り入れて見て、佐はその文の端に、ありふれた筆跡で書きつけ、こちらにはこちらにはと言葉を重ねて返したようである。作者は、それもまあよかろう、と記す。
作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱で、この年、右馬佐に任じられている。文を送っていた所の女は、原文に人名の明示がない。疱瘡はこの年に流行し、一条の太政大臣の子二人もこれで亡くなったと日記は伝える。
天延二年九月のことで、場所は京の路上と作者の住まいである。
疱瘡から快復した佐が外歩きを始めた日、道で相手の車と行き合い、車の頭が引っかかって難儀した。その翌日、昨夜はまったく気づきませんでした、という言葉に添えて、あちらから詠み送られてきた歌である。
佐はこの文を取り入れて見て、その端にありふれた筆跡で書きつけ、こちらにはこちらにはと言葉を重ねて返した。
初句の「年月の」で時の流れを立て、二句の「めぐりくるま」へ渡す。「くるま」は車であるとともに、めぐり来る間、すなわち時のめぐって来るあいだをも意味しており、この一語が歌の要にあたる。道で行き合ったのが車であったという事実が、そのまま時のめぐりを言う語になる。三句の「わになりて」は車の輪になって、の意で、輪が円を描いて回り続けることから、年月が同じところを繰り返しめぐる姿を示す。四句の「思へば」で振り返り、結句の「かゝるをりもありけり」は、こうした折もあったのだった、と気づきの調子で結ぶ。車が行き合って輪が触れたという偶然の出来事を、年月がめぐってこういう機会も生じたのだと受け止める形で、車という具体の物から時のめぐりという抽象へ、一語で移っている。日記に書き留められた相手の歌としては、車の事故という思いがけない出来事を、そのまま縁として詠み込んだ機転が目を引く。
くるま:「車」に、めぐり来る間の意を掛ける。
わ:車の輪。
佐(すけ):右馬寮の次官。右馬佐。
- 出典
-
蜻蛉日記
- その他の歌
-