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さゝわけばあれこそまさめ草枯の
こまなつくべきもりの下かは

歌の意味
笹を分け入れば、荒れがまさるばかりでしょう。草の枯れた、駒が懐くはずの杜の下でしょうか。
鑑賞
 神無月になった。二十日あまりのころ、忌みを違えるといって移った所で聞くと、あの忌みの所では子が生まれたそうだと人が言う。ある宵のこと、兄弟と思われる人が近く這い寄ってきて、懐から陸奥紙で引き結んだ文の、枯れた薄に挿してあるのを取り出した。不審に思って、誰からかと尋ねると、まずご覧なさいと言う。開いて灯の光で見ると、心づきなく思っている人の筆跡の筋によく似ている。書いてあるのは、あの、いかなる駒かとあったのはいかがか、という言葉と歌であった。作者が人に詠み送って、悔しく思った事のその七文字であるから、たいそう不審である。これは誰からか、堀河殿のことかと尋ねると、大きおとどの御文である、御随身のそれがしが殿へ持って来たのを、おいでにならないと言ったけれど、それでも確かにと言って置いていった、と言う。それにしてもどうしてお聞きになったことだろうと、いくら考えても不審である。人ごとに相談などすると、古めかしい人が聞きつけて、たいそう恐れ多いこと、早く御返しをして、その御随身にお与えなさるべきものだ、とかしこまる。それならば、これほど疎かにお思いになったわけではないのだろうけれど、たいそうなおざりなことだ、と思って返した。
 作者は藤原倫寧の娘。原文が大きおとど、堀河殿と呼ぶのは、兼家の兄にあたり、このころ政の頂にあった人で、人名は記されない。忌みの所とは、兼家が通う別の家をさす。古めかしき人は作者の父の藤原倫寧。陸奥紙は厚手の上質な紙である。
 天延二年神無月の二十日過ぎのことで、場所は作者が忌みを違えるために移った所である。
 霜枯れの草の縁が心ひかれる、駒返っても懐けたいものだ、と詠んでこられた歌に対する返しである。父が、早く御返しをするべきだと恐れ入るので、なおざりなことだと思いながら詠んだ。
 地の文は、この返しののち、ある人が、これの返しをもう一度しようとして途中までお詠みになったが、末はまだだとおっしゃっている、と伝え聞いて久しくなったのが面白かった、と記す。

 相手の「草枯」「こま」をそのまま受けて返している。初句の「さゝわけば」は、笹を分け入るなら、の意で、人の踏み分けない荒れた場所を思わせる語から起こす。二句の「あれこそまさめ」は「こそ」の結びで、荒れることがまさるばかりだろう、と言い切る。分け入れば道ができるどころか、いっそう荒れるだけだという理屈で、訪ねようとする相手をやんわりと退ける。三句の「草枯の」は相手の霜枯れの草を置き直したもの。四句の「こまなつくべき」は、駒が懐くはずの、の意で、相手が駒をなつけたいと詠んだのを条件の形へ引き取る。結句の「もりの下かは」の「かは」は反語で、そのような杜の下でしょうか、いいえ違います、の意になる。杜は神の宿る木立であり、みだりに人の入る所ではないから、駒が懐くような場所ではないと言う形になる。相手の語を一つも捨てずに組み替えたうえで、荒れると反語との二つで断りを述べており、身分の高い相手に対する返しとして、失礼にならない範囲で意思を通している。

草枯(くさがれ):草が枯れること。
もり:杜。神の宿る木立。
さゝ:笹。丈の低い竹。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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