通ふべき道にもあらぬやつはしの
ふみ見てきとてなに賴むらむ
- 歌の意味
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通うはずの道でもない八橋を、踏み見たといって、いったい何を頼みにするのだろう。
- 鑑賞
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臨時の祭に佐が急に舞人に召され、試楽の日から祭の日まで慌ただしく過ぎた。祭の日には車を出して見物し、上達部の車が連なるなかに、思う人の一行が立派に見えるのを面はゆく眺めた。さて佐に、こうしていてはどうかと世話を焼く人があって、その縁で言い交わし続ける相手ができた。八橋のあたりの人であったろうか。まず佐が詠み贈ったが、返事はこのたびはないようである。重ねて詠み贈ると、今度は返事があった。以後、通う道の難しさ、大空の雲路、雲の梯の危うさをめぐって応酬が重ねられ、八首に及ぶ。この日は暗くなったといってやんだ。
作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱で、この年、右馬佐に任じられている。相手の女は、八橋のあたりの人であったろうかと記されるのみで、原文に人名の明示はない。八橋は三河の歌枕で、水の流れに橋を八つ渡し、蜘蛛手のように分かれた形であったと伝えられる。
天延二年霜月ごろのことで、場所は八橋のあたりにある女の家である。
二度重ねて詠み贈ってきた佐の歌に対し、このたび初めて返された歌である。
これに対して佐は「なにかその通はむ道のかたからむふみ始めたるあとをたのめば」と返した。
相手の「やつはし」「ふみ」をそのまま受けて返している。初句から二句の「通ふべき道にもあらぬ」は、通うはずの道でもない、の意で、そもそも往来のある関係ではないと退ける。三句の「やつはしの」で相手の地名を置き直し、四句の「ふみ見てき」へ渡す。「ふみ」は相手と同じく、橋を踏む意と文との掛詞で、踏み渡ったといい、文を見たという二つの意が働く。「とて」は、といって、の意で、それを根拠にすることの当てにならなさを示す。結句の「なに賴むらむ」は、何を頼みにするのだろう、と問う形で、頼む甲斐もなくと嘆いてきた相手の語をそのまま引き取りながら、頼むに足るものなど何もないと突き返す。橋があるからといって、そこが通う道になるわけではない、という理屈で、初めての返事でありながら、受け入れる気配をまったく見せない。相手の用いた語を一つも捨てずに組み替えて断るという形は、上巻以来この日記の贈答に一貫する作法である。
やつはし:三河の歌枕。水の流れに八つの橋を渡した所。
ふみ:橋を「踏み」に「文」を掛ける。
かよふ:行き来する。通う。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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