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我がなかはそばのぬるかと思ふまで
見きとばかりも氣色ばむかな

歌の意味
我らの仲は、そばの木も濡れるかと思うほどに、見たとだけの一言にも、そっけない気配が見えることよ。
鑑賞
 師走になった。佐は同じ相手になお歌を詠み贈る。ものへ出かけるからと言って返事がない。翌日、返事を言葉で乞いにやったところ、そばの木に見た、とだけ書いて寄こした。それに応じて詠み贈ると、返しがあった。
 作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱。相手の女は、原文に人名の明示がない。そばは山地に生える木で、夏のうちから葉が色づくことがあり、この二人の贈答では六月にもその紅葉が用いられた。
 天延二年師走のことで、場所は相手の女の家である。
 前の歌に返事がなく、翌日、言葉で返事を乞いにやったところ、そばの木に見た、とだけ書いて寄こした。それに応じてすぐに詠み贈った歌である。
 これに対して女が「天雲の山のはるけきまつなればそばぬるいろはときはなりけり」と返した。

 初句の「我がなか」は二人の仲のことで、相手のそっけなさを言う前置きになる。二句の「そばのぬるか」の「そば」は山地に生える木の名で、相手が返事に、そばの木に見た、とだけ書いて寄こしたのを受けている。その一語をそのまま取り上げて歌の中心に据える形で、この贈答が相手の短い一言を材料にして成り立っていることが分かる。「ぬる」は濡れる意で、木が涙に濡れるかと思うほど、という誇張になる。三句の「思ふまで」でその程度を示し、四句の「見きとばかり」へ渡す。見た、というそれだけの言葉をさす。結句の「氣色ばむかな」の「けしきばむ」はそぶりや気配を見せる意で、詠嘆で結ぶ。たった二文字ほどの返事にさえ、拒む気配が見えるという訴えであり、返事が短ければ短いほど、その短さ自体を歌の材料にするという運びになっている。なお底本には乱れがあり、初句と二句の読みは定まらない。

そば:そばの木。山地に生える木で、葉が早く色づく。
けしきばむ:そぶりを見せる。気配をあらわす。
ぬる:濡れる。
作者
藤原道綱
出典
蜻蛉日記
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