春日野の草は緑になりにけり
若菜摘まむと誰かしめけん
- 歌の意味
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春日野の草はもう緑になったことだ。若菜を摘もうといって、いったい誰が標を立てたのだろう。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 12
詞書「天暦御時屏風歌」
前歌の「しめし野」を受け、同じく標を立てる行為を詠みながら、時をやや進めて草が緑に育った野を描く。摘むべき若菜がすでに育ちすぎた、という気づきが歌の眼目である。詞書によれば村上天皇の御代の屏風歌で、屏風に描かれた絵に添えて詠まれたものである。
作者の壬生忠見(生没年未詳)は壬生忠岑の子で、平安時代中期の歌人である。三十六歌仙の一人に数えられる。天徳四年の内裏歌合で平兼盛と番えられて敗れたことが広く語り伝えられている。
場面は若菜摘みの季節が過ぎたころ、場所は春日野である。
直接の契機は屏風歌としての詠進である。屏風歌は調度に描かれた景物に合わせて詠むもので、絵の場面を歌によって説き起こす役割をもった。
初句
二句「春日野の草は緑に」は、春日野の草がすっかり緑になった、という現在の景である。若菜と呼べる時期を過ぎたことが色によって示される。
三句「なりにけり」の「けり」は詠嘆を含み、いつのまにか、という驚きを添える。
四句
五句「若菜摘まむと誰かしめけん」の「か」は疑問の係助詞で、結びの「けん」は過去推量の助動詞である。誰が標を立てたのだろう、と問う形をとるが、実際には、誰かが標を立てておきながら摘みそびれたのだ、という含みで読める。
前歌が標を立てた当人の立場から雪を嘆くのに対し、この歌は野を通りかかった第三者の目で標だけを見つけ、その人の事情を推し量る。同じ「しむ」という語を軸に、視点を入れ替えて並べられた配列になっている。
しむ:標を立てて自分の場所として占める
けむ:過去推量の助動詞。〜たのだろう
- 作者
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壬生忠見
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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