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春ごとに心を染むる花の枝に
誰がなほざりの袖か触れつる

歌の意味
春が来るたびに心を寄せている花の枝に、いったい誰のいいかげんな袖が触れたのだろう。
鑑賞
巻第一 春歌上 49

詞書「返し」
 前歌への返歌である。相手が花になぞらえて心を寄せたと言ってきたのに対し、その花は自分が毎年心を寄せてきたものだと切り返し、そこへいいかげんな気持ちの袖が触れたと応じる。
 作者の大弐三位は藤原賢子で、紫式部の娘である。父は藤原宣孝。後冷泉天皇の乳母を務め、従三位に叙された。
 場面は前歌と同じく梅の散るころである。
 直接の契機は前歌を贈られたことである。
 贈答の相手である藤原定頼は、和歌に長じた公任の子であり、この応酬は当代の才子同士のやり取りとして伝えられている。

 初句
二句「春ごとに心を染むる」は、春が来るたびに心を深く寄せる、の意である。「染む」は色が染み込むように心が深く入ることをいう。前歌の「よそへて見つる」が一度きりの行為であるのに対し、こちらは毎年くり返してきたことだと言っており、花との関わりの深さで相手に勝ろうとする含みがある。
 三句「花の枝に」で、前歌の「梅の花」を受ける。
 四句「誰がなほざりの」の「なほざり」は、いいかげんである、本気でない、の意である。前歌の熱心な訴えを、その場かぎりの戯れとして扱い返している。
 五句「袖か触れつる」の「か」は疑問の係助詞で、「つる」の連体形が結びとなる。「袖触る」は本歌である『古今和歌集』の「誰が袖ふれし宿の梅ぞも」を踏まえた言い方で、第四十三首
第四十六首と同じ古歌がここでも用いられている。
 相手の言葉をそのまま受け止めず、こちらの側の年来の思いを示したうえで、相手の心を軽いものとして返す。真正面から拒むのでも受けるのでもない応じ方であり、贈答歌の機知が発揮されている。

しむ:色が染み込むように心が深く入る
なほざり:いいかげんである。本気でない
作者
大弐三位
出典
新古今和歌集
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