嵐吹く岸の柳のいなむしろ
織り敷く波に任せてぞ見る
- 歌の意味
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嵐の吹く岸辺の柳が、稲筵のように水面に敷かれている。それを織り敷く波に任せたまま眺めている。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 71
詞書「百首歌の中に」
柳の一連の三首目である。風に吹き伏せられた柳の枝が水面に広がるさまを、稲藁で編んだ筵に見立てる。詞書によれば百首歌のうちの一首である。
作者の崇徳院(一一一九〜一一六四)は鳥羽天皇の第一皇子である。保元元年の保元の乱に敗れて讃岐に配流され、その地で没した。第十三首の詞書にある久安百首は、この崇徳院が下命したものである。
場面は春、風の強い日の川岸である。
直接の契機は百首歌の詠進である。
初句「嵐吹く」で強い風が示され、二句「岸の柳の」で場所と対象が定まる。
三句「いなむしろ」は稲藁で編んだ筵である。垂れた柳の枝が水面に広がるさまを、この筵に見立てている。「筵」は敷くものであるから、下の「敷く」を導く働きもある。
四句「織り敷く波に」の「織る」は筵の縁語である。波が柳の枝を織り、敷いていると捉え、波を職人のように働かせている。第六十五首の伊勢の歌が春雨に綾を織らせたのと同じ発想であり、二首は織物の比喩で通じ合う。
結句「任せてぞ見る」は「ぞ」の係り結びで、「見る」の連体形が結びとなる。手を加えず、波のするままに任せて眺めるという態度が示される。
見立て、縁語、係り結びを一首に収めた技巧的な作りであり、崇徳院が歌に深く傾倒した人物であったことをうかがわせる。
いなむしろ:稲藁で編んだ筵
おる:織る。「筵」の縁語
まかす:相手のするままにさせる
- 作者
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崇徳院
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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