白雲の立田の山の八重桜
いづれを花と分きて折りけん
- 歌の意味
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白雲のかかる立田の山の八重桜を、どれを花と見分けて折ったのだろう。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 90
詞書「八重桜を折りて人のつかはして侍りければ」
桜の一連の十二首目である。人から八重桜の枝を贈られた折の礼として詠まれた。白雲と桜が紛らわしいなかで、よく見分けて折ってくれたものだ、と相手の働きをたたえる。
作者の道命法師(九七四〜一〇二〇)は藤原道綱の子で、天台の僧である。声のよさで知られ、経を読む声にまつわる説話が残る。
場面は八重桜の咲くころ、場所は大和国の立田山である。第八十五首と同じ土地である。
直接の契機は、八重桜の枝を贈られたことである。
初句「白雲の」は下の「立田の山」に係る。白雲がかかる山、の意であると同時に、桜を白雲に見立てる系列の語でもある。
三句「八重桜」は花びらの重なった桜である。「八重」は幾重にも重なる意で、白雲の重なりとも響き合う。
四句「いづれを花と」は、どれを花と、の意で、白雲と桜のどちらとも決めがたい状況を示す。第二十二首の躬恒歌が「いづれをか花とは分かむ」と詠んだのと同じ言い方であり、そこでは雪と花、ここでは雲と花が紛れている。
結句「分きて折りけん」の「けん」は過去推量の助動詞で、見分けて折ったのだろう、と結ぶ。贈ってくれた人の手際に対する軽い驚きが込められている。
贈答の場でありながら、相手への謝意を直接には述べず、見立ての難しさを言い立てることで賛辞に代えている。
やへざくら:花びらが幾重にも重なって咲く桜
わく:見分ける。区別する
- 作者
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道命法師
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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