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石上布留野の桜誰植ゑて
春は忘れぬ形見なるらん

歌の意味
石上の布留野の桜は、いったい誰が植えて、春が忘れずに訪れる形見となったのだろう。
鑑賞
巻第一 春歌上 96

詞書「千五百番歌合に」
 桜の一連の十八首目である。第八十八首と同じ石上の地を舞台とし、そこに咲く桜の由来を問う。詞書によれば千五百番歌合に出された歌である。
 作者の「右衛門督通具」は源通具で、本巻では第四十六首に続く二度目の登場となる。『新古今和歌集』の撰者の一人である。
 場面は桜の咲くころ、場所は大和国の石上、布留野である。
 直接の契機は歌合への出詠である。

 初句「石上」は「ふる」に掛かる枕詞であり、二句「布留野」の地名を導く。第八十八首と同じ働き方であるが、そちらが「古き」を導いたのに対し、こちらは地名そのものを導いている。
 三句「誰植ゑて」は、誰が植えたのか、の意である。植えた人はもう知られていないという含みがある。第十二首の忠見歌の「誰かしめけん」、第九十首の道命歌の「分きて折りけん」と同じく、行為者を問う形で歌が立てられている。
 四句「春は忘れぬ」は、春のほうは忘れずに、の意である。植えた人は忘れられても、春は毎年欠かさず訪れる。
 結句「形見なるらん」の「形見」は思い出のよすがとなるものをいい、第十四首
第四十七首にも用いられた語である。「らん」は現在推量の助動詞である。
 人が去っても花が残るという主題は第八十八首と同じであるが、そちらが咲いている事実に驚くのに対し、この歌は誰が植えたかを問うており、時間をさらに遡っている。

ふるの:大和国石上の地の野。現在の奈良県天理市付近
かたみ:思い出のよすがとなるもの
作者
源通具
出典
新古今和歌集
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