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花ぞ見る道の柴草踏み分けて
吉野の宮の春の曙

歌の意味
花を見るのだ。道の柴草を踏み分けて訪ねる、吉野の宮の春の曙よ。
鑑賞
巻第一 春歌上 97

詞書は前の歌に続き「千五百番歌合に」
 桜の一連の十九首目である。荒れた道を踏み分けて古い離宮の跡を訪ね、その曙の花を見る。原文では詞書が改めて記されていない。
 作者の「正三位季能」は藤原季能である。平安時代後期の歌人で、正三位に至った。
 場面は春の曙、場所は大和国の吉野の宮である。吉野には古代に離宮が置かれ、その旧跡が歌に詠まれてきた。巻頭の良経歌が吉野を「古里」と詠んだのも、この離宮の記憶による。
 直接の契機は歌合への出詠である。

 初句「花ぞ見る」の「ぞ」は係助詞で、「見る」の連体形が結びとなる。花を見るのだ、という言い切りが最初に置かれ、以下でその場所と経路が語られる倒置になっている。
 二句「道の柴草」は、道に生い茂った雑木や草である。人の通いが絶えて荒れていることが、この一語で示される。
 三句「踏み分けて」は、草を分けて進む、の意である。第九十三首の「岩根踏み」と同じく、たどり着くまでの労が具体的に示される。
 四句「吉野の宮の」で場所が定まる。廃れた離宮という設定は、第八十八首の「古き都」、第九十五首の「故郷」と同じ系列にある。
 結句「春の曙」は体言止めである。荒れた道の果てに、明け方の花が置かれる。巻頭の第一首が吉野の里に春の到来を告げたのに対し、この歌は同じ吉野で花の盛りを迎えており、巻の初めと終わり近くが同じ土地で結ばれている。

しばくさ:道などに生い茂った雑木や草
よしののみや:吉野に置かれた古代の離宮。またその旧跡
作者
藤原季能
出典
新古今和歌集
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