- 歌の意味
-
幾年の春にわたって心を尽くし続けてきたことか。哀れと思ってくれ、み吉野の花よ。
- 鑑賞
-
巻第二 春歌下 100
詞書「千五百番歌合に春歌」
巻頭の後鳥羽院歌に続く二首目である。前歌が一日を飽かず眺めると詠んだのに対し、こちらは幾年もの春を花に費やしてきたと述べ、時間の尺度が長くなる。詞書によれば千五百番歌合に出された春の歌である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。巻第一では第五首
第十五首
第十六首
第五十九首に現れた。前歌の詞書にある九十賀の主でもある。
場面は桜の咲くころ、場所は大和国の吉野である。
直接の契機は歌合への出詠である。俊成はこの千五百番歌合に高齢で詠進しており、幾年もの春という言い方には自らの年月が重ねられている。
初句「幾年の」は、いくつの年の、の意で、数え切れない年月を示す。前歌の「長々し日」が一日であったのに対し、こちらは年の単位である。二首が時間の長さで受け渡されている。
二句
三句「春に心をつくしきぬ」の「つくす」は残らず費やす意、「きぬ」は「来ぬ」で、そうし続けてきた、の意になる。花のために心を使い果たしてきた歳月が示される。
四句「あはれと思へ」は命令形による呼びかけである。相手は結句の花であり、人ではなく花に憐れみを求めている。
結句「み吉野の花」は体言止めで、呼びかけの相手が最後に置かれる倒置である。吉野は巻第一の巻頭歌の地でもあり、本集の春の歌が繰り返し立ち返る土地である。
花に向かって我が身を憐れめと言う構えは、巻第一の第五十二首で式子内親王が梅に「我を忘るな」と呼びかけたのと通じる。応えるはずのないものへ呼びかける形が、ここでも用いられている。
つくす:残らず費やす
あはれ:しみじみとした情。ここでは憐れみ
- 作者
-
藤原俊成
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-