白雲のたなびく山の山桜
いづれを花と行きて折らまし
- 歌の意味
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白雲のたなびく山の山桜は、どれを花と見分けて行って折ろうか。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 102
詞書「内大臣に侍りける時、望山花といへる心をよみ侍りける」
ここから遠望する桜を詠む歌が続く。この歌は白雲と山桜の紛らわしさを主題とする。詞書の「望山花」は、山の花を望み見る、の意で、作者が内大臣であった時にその題で詠んだものである。
作者の「京極前関白太政大臣」は藤原師実(一〇四二〜一一〇一)である。藤原頼通の子で、関白
太政大臣を務めた。京極に邸を構えたことからこの呼び名がある。巻第一の第四十一首の作者である頼通は父にあたる。
場面は桜の咲くころ、場所は遠くに望まれる山である。
直接の契機は「望山花」の題による詠である。
初句「白雲の」は下の「たなびく山」に係る。白雲と桜を見分けがたいものとする趣向は、巻第一の第八十七首
第九十首
第九十一首にも見えた。
二句
三句「たなびく山の山桜」は、雲のたなびく山に咲く山桜、の意である。「山」の語を重ねて場所を強く印象づけている。
四句「いづれを花と」は、どれを花と、の意である。巻第一の第二十二首の躬恒歌、第九十首の道命歌にも同じ言い方が用いられており、雪
雲と花を取り違える系列の語となっている。
結句「行きて折らまし」の「まし」はためらいを含む意志の助動詞で、行って折ろうか、どうしようか、という迷いを表す。第九十首が「分きて折りけん」と、すでに折った人の手際を問うたのに対し、この歌はこれから折ろうとして迷う段階にある。
望み見るだけの題でありながら、行って折るという動作まで想像している点に、遠景から手元へ引き寄せようとする心が表れている。
たなびく:横に長く引く
まし:ためらいを含む意志を表す助動詞。〜しようか
- 作者
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藤原師実
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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