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ももしきの大宮人はいとまあれや
桜かざして今日も暮らしつ

歌の意味
宮中に仕える人々には暇があるのだろうか。桜を髪に挿して、今日もまた一日を暮らしてしまった。
鑑賞
巻第二 春歌下 104

詞書「題しらず」
 ここから花のもとで過ごす人を詠む歌が続く。この歌は宮仕えの人々が花見に日を費やすさまを、外から眺めるように詠む。詞書は「題しらず」で、詠作の事情は伝わっていない。
 作者の山部赤人は奈良時代の歌人で、『万葉集』を代表する歌人の一人である。巻第一では第十一首
第二十九首に現れた。
 場面は桜の盛りのころ、場所は宮中またはその近くである。
 詠まれた直接の契機は伝わらない。

 初句「ももしきの」は「大宮」に掛かる枕詞である。多くの石を築いた宮、の意から生じたとされる。
 二句「大宮人は」は宮中に仕える人々をいう。
 三句「いとまあれや」の「や」は疑問の係助詞で、暇があるからだろうか、と原因を推し量る言い方である。巻第一の第六十七首の勝命歌が「小田の益荒男いとまあれや」と農夫について同じ言い方をしており、そちらが田仕事、こちらが宮仕えと、対照的な対象に同じ型が用いられている。
 四句「桜かざして」の「かざす」は花や枝を髪や冠に挿すことをいう。巻第一の第八十八首でも用いられた語である。
 結句「今日も暮らしつ」は巻第一の第八十一首の貫之歌と同じ結句である。そちらが心だけ山へ行って一日を空しく過ごしたのに対し、この歌は実際に花のもとで一日を費やしている。同じ結句が対照的な内容を受けている。

ももしきの:「大宮」に掛かる枕詞
おほみやびと:宮中に仕える人々
かざす:花や枝を髪や冠に挿す
作者
山部赤人
出典
新古今和歌集
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