わが宿の物なりながら桜花
散るをばえこそとどめざりけれ
- 歌の意味
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我が家のものでありながら、桜の花は、散るのをどうしても引きとめることができないのだった。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 108
詞書は前の歌に続き「題しらず」
散る花の二首目である。前歌が山の桜を詠んだのに対し、この歌は自邸の桜を詠み、所有していてもなお散るのを止められないと述べる。詞書は前歌に続いて「題しらず」である。
作者の紀貫之は『古今和歌集』の撰者で、その仮名序を執筆した。巻第一では第十四首
第八十一首に現れた。
場面は桜の散るころ、場所は作者の家である。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
初句
二句「わが宿の物なりながら」の「ながら」は逆接で、自分の所有であるのに、の意になる。所有と支配は別だ、という理屈が一首の骨組みである。
三句「桜花」で対象が定まる。
四句「散るをばえこそ」の「え」は下に打消を伴って不可能を表す副詞、「こそ」は係助詞である。「をば」は「をは」の濁った形で、強調を含む目的語の提示になる。
結句「とどめざりけれ」は「こそ」の結びで已然形となる。「ざり」は打消、「けれ」は詠嘆で、とどめることができなかったのだなあ、の意になる。
巻第一の第五十一首で西行が我が宿の梅を人に見せたいと詠み、第五十四首で八条院高倉が誰も来ないまま梅が散ったと詠んだのに続き、ここでも自分の庭の花が主題となる。持ち主でありながら手が及ばないという点が、それらとは異なる着眼である。
ながら:逆接を表す接続助詞。〜であるのに
え:下に打消を伴って不可能を表す副詞
- 作者
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紀貫之
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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