今日だにも庭を盛りと移る花
消えずはありとも雪かとも見よ
- 歌の意味
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今日だけでも、庭を盛りとして散り移る花を、消えないものではあっても、雪かと見てほしい。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 135
詞書「ひととせ忍びて大内の花見にまかりて侍りしに、庭に散りて侍りし花を硯の蓋に入れて摂政のもとにつかはし侍りし」
散った花を雪と見る歌の二首目である。詞書によれば、ある年に人目を忍んで内裏の花見に出かけ、庭に散っていた花を硯の蓋に入れて摂政のもとへ贈った、その折の歌である。実際に花びらを添えて贈られた歌であり、次の第百三十六首がその返しである。
作者の「太上天皇」は後鳥羽院である。本巻では第九十九首
第百三十三首に続く三度目の登場となる。贈った相手の摂政は藤原良経である。
場面は桜の散るころ、場所は内裏の庭である。
直接の契機は、内裏の庭に散った花を摂政に贈ったことである。
初句「今日だにも」の「だに」は、せめて〜だけでも、の意で、前歌と同じ語である。二首が同じ語を共有している。
二句「庭を盛りと」は、庭のほうを盛りとして、の意である。枝の上ではなく地面に散り敷いたところが今の見どころだ、という捉え方になる。
三句「移る花」の「移る」は色が褪せる、散る意である。
四句「消えずはありとも」は、消えないものではあっても、の意である。雪であれば消えるはずだが、これは消えない、という違いをあらかじめ断っている。見立ての無理を自ら認めたうえで、それでも雪と見よと言う形になっている。
結句「雪かとも見よ」は命令形による依頼である。前歌が「見ん」と他人の目を推し量ったのに対し、この歌は相手に直接そう見よと求めており、贈答の場にふさわしい言い方になっている。
だに:せめて〜だけでも
うつる:色が褪せる。散る
おほうち:内裏。宮中
- 作者
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後鳥羽院
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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