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桜花夢か現か白雲の
絶えて常なき峰の春風

歌の意味
桜の花は夢だったのか現実だったのか。白雲は絶えて、常のないものである峰の春風よ。
鑑賞
巻第二 春歌下 139

詞書「五十首歌たてまつりし時」
 ここから、散る花に無常を見る歌が続く。この歌はその一首目で、花の盛りが過ぎたことを夢か現かと問う。詞書によれば五十首歌を詠進した折の一首である。
 作者の藤原家隆は『新古今和歌集』の撰者の一人である。本巻では第百十三首に続く二度目の登場となる。
 場面は桜の散った後、場所は峰である。
 直接の契機は五十首歌の詠進である。

 初句「桜花」で対象を掲げ、二句「夢か現か」で問いが立てられる。「か〜か」を重ねて、どちらとも決めがたいことを示す。巻第一の第三十八首で定家が「春の夜の夢の浮橋」と詠んだのに通じ、夢と現の境を曖昧にする作りである。
 三句「白雲の」は下の「絶えて」に係る。白雲は桜の見立てとして本巻でも繰り返し用いられてきた語であり、ここでは花そのものと重ねて読める。
 四句「絶えて常なき」の「絶えて」は、下に打消を伴って、まったく〜ない、の意を表す副詞である。「常なし」は変わらぬものがない、すなわち無常である、の意である。
 結句「峰の春風」は体言止めである。花を散らした風だけが後に残る。夢と現の問いに答えは示されず、無常という語だけが置かれて終わる。

うつつ:現実。目覚めている状態
たえて:下に打消を伴って、まったく〜ない
つねなし:変わらぬものがない。無常である
作者
藤原家隆
出典
新古今和歌集
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