惜しめども散り果てぬれば桜花
今は梢を眺むばかりぞ
- 歌の意味
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惜しんでも散り果ててしまったので、桜の花は、今はもう梢を眺めるばかりである。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 146
詞書「題しらず」
春風への呼びかけを受け、この歌は求めることをやめて事実を認める。花のない梢を眺めるほかないと述べる。詞書は「題しらず」で、詠作の事情は伝わっていない。
作者の後白河院(一一二七〜一一九二)は鳥羽天皇の第四皇子である。譲位後は長く院政を行った。今様を集めた『梁塵秘抄』の編者としても知られる。第百一首
第百三十七首の作者である式子内親王は皇女、第百三十八首の作者である惟明親王は孫にあたる。
場面は桜の散った後、場所は特定されない。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
初句「惜しめども」の「ども」は逆接で、惜しんでも、の意である。前の二首が風に求めたのに対し、この歌はまず、惜しんでも何も変わらないと認めるところから始まる。
二句「散り果てぬれば」の「果つ」はすっかり〜しきる意、「ぬれ」は完了の已然形で、「ば」を伴って確定条件となる。散り残りもないことが示される。
三句「桜花」で対象が定まる。
四句「今は梢を」は、今となっては梢を、の意である。花のあった場所だけが残っている。
結句「眺むばかりぞ」の「ばかり」は限定で、それだけである、の意になる。「ぞ」は係助詞であるが、ここでは文末に置かれて言い切りを強める働きをする。何も残っていない枝をなお眺めるという行為だけが示され、諦めが静かに述べられる。第百四十七首の良経歌も同じく空しい枝を詠んでおり、二首が続けて置かれている。
はつ:すっかり〜しきる
こずゑ:木の枝の先
ばかり:限定を表す。〜だけ
- 作者
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後白河院
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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