散りにけりあはれ恨みの誰なれば
花のあと訪ふ春の山風
- 歌の意味
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散ってしまった。ああ、いったい誰に対する恨みだというので、花の散った跡を訪ねてくるのか、春の山風は。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 155
詞書は前の歌に続き「千五百番歌合に」
前歌と同じ歌合の詠である。花を散らした風が、散った後になおその跡を訪れることを、恨みを含んだ振る舞いとして責める。原文では詞書も作者名も改めて記されておらず、前の歌と同じ作者が続くことを示している。
作者は前歌に続いて寂蓮法師である。
場面は桜の散った後、場所は花の散った跡である。
直接の契機は歌合への出詠である。
初句「散りにけり」は言い切りで、まず事実が置かれる。第百三十三首の後鳥羽院歌と同じ句である。
二句「あはれ」は感動を表す語で、ここでは詠嘆の間投詞として働く。第百四十一首の実定歌でも同じ用い方がなされている。
二句
三句「恨みの誰なれば」は、誰に対する恨みであるので、の意である。風が跡を訪れるのを、恨みを晴らしに来る振る舞いと見立てている。
四句「花のあと訪ふ」の「あと」は花の散った後、また花のあった跡である。第百三十四首の「跡もなし」、第百四十七首の「跡絶えて」と同じ語であり、花の去った場所を指す語として本巻で繰り返されている。
結句「春の山風」は体言止めで、第百四十四首
第百四十五首と同じ結句である。それらが風に懇願したのに対し、この歌は風を責めており、同じ相手への態度が反転している。三首が同じ結句を共有しながら、求め
懇願
非難と扱いを変えて並べられている。
うらみ:恨み。恨めしく思う心
あと:後。またあった跡
とふ:訪れる
- 作者
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寂蓮法師
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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