- 歌の意味
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吉野川の岸の山吹が咲いたことだ。峰の桜はもう散り果ててしまったのだろう。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 158
詞書は前の歌に続き「百首歌たてまつりし時」
ここから山吹を主題とする一連が始まる。この歌はその入口で、岸の山吹が咲いたことから、峰の桜がもう散ったと推し量る。原文では詞書が改めて記されていない。
作者の藤原家隆は『新古今和歌集』の撰者の一人である。本巻では第百十三首
第百三十九首に続く三度目の登場となる。
場面は春の終わり、場所は大和国の吉野川と、それを見下ろす峰である。
直接の契機は百首歌の詠進である。
初句
二句「吉野川岸の山吹」で場所と対象が定まる。山吹は水辺に咲く花で、川岸との取り合わせは古くからの型である。
三句「咲きにけり」の「けり」は詠嘆で、咲いたのだなという気づきを示す。
四句「峰の桜は」で視線が川岸から峰へ移る。低いところと高いところ、山吹と桜という対比が生じる。
結句「散り果てぬらん」の「ぬ」は完了、「らん」は現在推量で、散り果ててしまっただろう、と結ぶ。峰は見えていないのであり、目の前の山吹の開花を根拠として、見えない場所の桜の状態を推し量っている。巻第一の第二首
第二十六首
第九十一首と同じく、目に見える徴から見えない事態を導く型である。
桜の一連から山吹の一連へ移る位置にあり、一つの歌の中で季節の交替が示されている。
やまぶき:春の終わりに黄色い花をつける低木
ちりはつ:すっかり散ってしまう
- 作者
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藤原家隆
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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