古典和歌stream

まどゐして見れどもあかぬ藤波の
立たまく惜しき今日にもあるかな

歌の意味
車座に集まって見ても見飽きない藤波の、立ち去るのが惜しい今日であることだ。
鑑賞
巻第二 春歌下 164

詞書「天暦四年三月十四日藤壺にわたらせたまひて花惜しませたまひけるに」
 藤の一連の二首目である。詞書によれば天暦四年三月十四日、藤壺に出御して花を惜しまれた折の御製である。前歌と同じ飛香舎、すなわち藤壺での宴であり、二首が同じ場所を舞台としている。
 作者は「天暦御哥」とあり、天暦は村上天皇の御代の年号であるから、村上天皇の御製である。巻第一の第十二首の詞書にある「天暦御時」も同じ御代を指す。前歌の作者である醍醐天皇は父にあたる。
 場面は三月十四日、春の終わりである。場所は内裏の藤壺である。
 直接の契機は藤壺での花の宴における詠出である。

 初句「まどゐして」の「円居」は、車座になって集まることをいう。宴の場の光景が示される。
 二句「見れどもあかぬ」の「あかず」は満ち足りない、見飽きない、の意である。本巻の第九十九首
第百五首
第百九首にも用いられた語で、巻頭以来この巻を貫く語となっている。
 三句「藤波の」で対象が定まる。
 四句「立たまく惜しき」の「立たまく」は、立ち去るであろうこと、の意で、「まく」は名詞化する上代の語法である。前歌の「見まくほし」と同じ語法が続けて用いられている。また「立つ」は「藤波」の「波」の縁語でもあり、席を立つことと波の立つことが重ねられている。
 結句「今日にもあるかな」は「かな」の詠嘆で結ばれる。本巻の第百五首で業平が「今日の今宵に似る時はなし」と一日を惜しんだのと同じく、その日を他に代えがたいものとして扱っている。

まどゐ:車座になって集まること
あかず:満ち足りない。見飽きない
たたまく:立ち去るであろうこと。「まく」は名詞化する上代の語法
作者
村上天皇
出典
新古今和歌集
その他の歌