暮れぬとは思ふものから藤波の
咲ける宿には春ぞ久しき
- 歌の意味
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春は暮れたと思うものの、藤波の咲いている家には、春が長く残っているのだった。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 165
詞書「清慎公家屏風に」
藤の一連の三首目である。藤が咲いているうちは春が終わらないと詠み、春の終わりを引き延ばす。詞書の「清慎公」は太政大臣藤原実頼の諡である。第百五十首の詞書に見える小野宮の太政大臣と同じ人物である。
作者の紀貫之は『古今和歌集』の撰者で、その仮名序を執筆した。本巻では第百八首
第百十一首に続く三度目の登場となる。
場面は春の終わり、場所は屏風に描かれた藤の咲く家である。
直接の契機は屏風歌としての詠進である。
初句
二句「暮れぬとは思ふものから」の「ものから」は逆接を表し、そう思うけれども、の意になる。暦の上では春が終わったという認識がまず置かれる。
三句「藤波の」で転換の根拠が示される。藤は春の終わりから初夏にかけて咲く花で、桜より遅い。
四句「咲ける宿には」は、咲いている家では、の意である。場所を限定することで、そこだけ時間が違うという言い方になる。
結句「春ぞ久しき」は「ぞ」の係り結びで、「久しき」の連体形が結びとなる。春が長く続いている、の意である。暦と実感のずれを、花の有無によって説明している。巻第一の第五首で俊成が春を都だけのものと思っていたと詠んだのと同じく、暦という観念を実景によって捉え直す作りである。
ものから:逆接を表す接続助詞。〜けれども
ひさし:長く続いている
- 作者
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紀貫之
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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