木のもとの住みかも今は荒れぬべし
春し暮れなば誰か訪ひ来ん
- 歌の意味
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木の下の住まいも、今は荒れてしまうだろう。春が暮れてしまったなら、誰が訪ねて来るだろうか。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 168
詞書「修行し侍りけるころ春の暮によみける」
春の終わりを惜しむ歌の二首目である。花を目当てに人が訪れていた住まいが、春が終われば荒れるほかないと詠む。詞書によれば修行のころ、春の暮れに詠まれた歌である。
作者の大僧正行尊(一〇五五〜一一三五)は源基平の子で、大僧正に至った。諸国を巡って厳しい修行を積んだことで知られる。『新古今和歌集』巻第九にも歌が採られている。
場面は春の終わり、場所は木の下に構えた仮の住まいである。
直接の契機は修行のころの詠出である。
初句「木のもとの」は木の下の、の意である。花の咲く木の下に庵を結んでいたことが示される。
二句「住みかも今は」の「も」は、住まいまでも、の含みである。花が去るだけでなく住まいまでが、という続き方になる。
三句「荒れぬべし」の「べし」は当然の推量を表し、荒れてしまうにちがいない、の意になる。
四句「春し暮れなば」の「し」は強意の副助詞、「なば」は完了の未然形に仮定の「ば」が付いた形で、春が暮れてしまったなら、の意である。
結句「誰か訪ひ来ん」の「か」は疑問の係助詞で、「ん」の連体形が結びとなる。反語に近く、誰も来まいという含みをもつ。第百二十五首の範兼歌が花散って人が絶えたことを詠んだのと同じ主題であり、そちらが結果を述べるのに対し、この歌はこれから起こることとして先取りしている。
すみか:住まい。住んでいる所
べし:当然の推量を表す助動詞
し:強意を表す副助詞
- 作者
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大僧正行尊
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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