柴の戸にさすや日影の名残なく
春暮れかかる山の端の雲
- 歌の意味
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柴の戸に射す日の光も名残なく消えて、春が暮れかかる、山の端の雲よ。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 173
詞書「山家暮春といへるこゝろを」
春の終わりを惜しむ歌の七首目である。詞書の「山家暮春」は、山家における暮春、すなわち春の終わり、の意である。日暮れと季節の終わりを重ねて詠む。
作者の宮内卿は後鳥羽院に仕えた女房歌人で、若くして世を去った。本巻では第百二十八首
第百二十九首に続く三度目の登場となる。
場面は春の最後の日の夕暮、場所は山中の粗末な住まいである。
直接の契機は「山家暮春」の題による詠である。
初句「柴の戸に」の「柴の戸」は柴で編んだ粗末な戸で、山中の住まいを表す。巻第一の第三首で式子内親王が「松の戸」と詠んだのと同じ位置に立つ語である。
二句「さすや日影の」の「さす」は日が射す意であるが、戸に用いる「鎖す」の音も響く。日が射すことと戸を閉ざすことが同じ音で重なり、日の去る場面にふさわしい両義が生じる。「や」は詠嘆の間投助詞である。
三句「名残なく」は、名残もなく、すっかり、の意である。第百四十五首の雅経歌が名残を残せと求めたのに対し、こちらはその名残がないと言い切っている。
四句「春暮れかかる」は、春が暮れようとしている、の意である。一日の日暮れと季節の終わりが、同じ「暮る」の一語で重ねられている。
結句「山の端の雲」は体言止めである。日の沈む方角に雲だけが残る。巻第一の第三首が山深い庵の戸に雪解けの雫を詠んで春の始まりを示したのに対し、この歌は山中の戸に日の光の消えるさまを詠んで春の終わりを示しており、二首が対をなす位置にある。
しばのと:柴で編んだ粗末な戸。山中の住まいを表す
ひかげ:日の光
なごり:後に残る気配や余韻
- 作者
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宮内卿
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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