明日よりは志賀の花園まれにだに
誰かは訪はん春の故郷
- 歌の意味
-
明日からは、志賀の花園を、たまにでも誰が訪ねるだろうか。春の去った故郷よ。
- 鑑賞
-
巻第二 春歌下 174
詞書「百首歌たてまつりし時」
巻第二
春歌下を結ぶ歌である。春の最後の日に、明日からは誰も訪ねなくなるであろう花園を思う。詞書の「百首歌たてまつりし時」は正治二年の正治初度百首を指す。
作者の「摂政太政大臣」は藤原良経である。『新古今和歌集』の仮名序を執筆し、巻第一の巻頭歌の作者でもある。本巻では第百三十六首
第百四十七首
第百五十七首に続く四度目の登場となる。
場面は春の最後の日、場所は近江国の志賀である。志賀は大津京の置かれた地で、旧都として歌に詠まれてきた。巻第一の第十六首で俊成が「ささ波や志賀の浜松」と詠んだのと同じ土地である。
直接の契機は百首歌の詠進である。
巻の掉尾に良経の歌が置かれたことで、巻第一の巻頭歌と合わせ、春の部が同じ作者の歌で始まり終わる形になっている。
初句「明日よりは」は、明日からは、の意である。今日が春の最後の日であることが、この一語で示される。
二句「志賀の花園」で場所が定まる。旧都の地に花の園があるという設定で、盛りを過ぎた土地と季節が重ねられる。
三句「まれにだに」は、たまにでも、の意である。「だに」は、せめて〜だけでも、の意で、本巻の第百三十四首
第百三十五首
第百四十四首にも用いられた語である。
四句「誰かは訪はん」の「かは」は反語を表し、誰が訪ねるだろうか、いや誰も訪ねまい、の意になる。第百二十五首
第百六十八首
第百七十首と続いてきた、花の後に人が来ないという主題が、ここで巻全体の結びとして置かれている。
結句「春の故郷」は体言止めである。「故郷」は本集の春歌でくり返される語で、巻第一の巻頭歌が吉野を「ふりにし里」と詠み、本巻の第百四十七首が「花の故郷」と詠んだのに続く。春の来た古里から始まった二巻が、春の去った故郷で閉じられている。
はなぞの:花の咲く園
だに:せめて〜だけでも
かは:反語を表す。〜だろうか、いやそうではない
ふるさと:古びた里。古い都
- 作者
-
藤原良経
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-