いかなればその神山の葵草
年は経れども二葉なるらん
- 歌の意味
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どうして、その昔からの神山の葵草は、年を経ても二葉のままなのだろう。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 183
詞書「葵をよめる」
賀茂祭の二首目である。神山に生える葵が、年を重ねてもいつも二葉のままであることを不思議がる。詞書によれば葵を題として詠まれた。
作者の小侍従は平安時代末期の女房歌人である。生没年は伝わらない。夜を待つ心を詠んだ歌によって待宵の小侍従と呼ばれたと伝えられる。
場面は賀茂祭のころ、場所は山城国の神山である。賀茂別雷神社の north にある山で、賀茂の神が降りたとされる。
直接の契機は「葵」の題による詠である。
初句「いかなれば」は、どういうわけで、の意で、問いを立てて歌が始まる。
二句「その神山の」の「その」は「その上」すなわち昔の意を含み、同時に「神山」という地名を導く。地名の前に置かれることで、その昔からの、という含みが加わる。
三句「葵草」は賀茂祭に用いる草である。
四句「年は経れども」の「ども」は逆接で、年月を重ねても、の意になる。
結句「二葉なるらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、初句の「いかなれば」と呼応して、なぜなのだろうという問いの形で結ぶ。葵は二葉のまま増えないという性質を、長い年月と対比している。変わらぬものを詠む点で、巻第一の第十六首の俊成歌が古りた松を詠み、巻第二の第百六十六首が常緑の松を詠んだのと同じ系列にあるが、こちらは変わらなさを不審として提示している。
かみやま:山城国の山。賀茂の神が降りたとされる
あふひぐさ:賀茂祭に用いる草
ふたば:二枚の葉
- 作者
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小侍従
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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