桜麻の麻生の下草茂れただ
飽かで別れし花の名なれば
- 歌の意味
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桜麻の麻生の下草よ、ただ茂れ。飽きないまま別れた花の名を負っているのだから。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 185
詞書「崇徳院に百首歌たてまつりける時、夏歌」
夏草の二首目である。桜という名を含む「桜麻」に、去った桜への思いを託して詠む。詞書によれば崇徳院に詠進した百首歌のうちの夏の歌で、久安六年に成立した久安百首を指す。巻第一の第十三首、巻第二の第百三十一首も同じ百首の詠である。
作者の待賢門院安芸は鳥羽天皇の中宮である待賢門院璋子に仕えた女房歌人である。生没年は伝わらない。
場面は夏の初め、場所は麻の生えた野である。
直接の契機は百首歌の詠進である。
初句「桜麻の」は麻の一種の名である。「桜」の字を含むことから、春の桜が連想される。名の一致だけを手がかりに歌を立てているところに趣向がある。
二句「麻生の下草」の「麻生」は麻の生えているところ、「下草」はその下に生える草をいう。
三句「茂れただ」は命令形で、ただ茂れ、の意である。命令を先に置き、その理由を下の句で述べる倒置になっている。
四句「飽かで別れし」の「あかず」は満ち足りない、見飽きないの意で、巻第二の第九十九首
第百五首
第百九首
第百六十四首にも用いられた語である。見飽きないまま別れたのは桜のことである。
結句「花の名なれば」で、命令の理由が明かされる。名前が同じであるというだけの理由で草に思いを寄せるという、無理を承知の情のかけ方であり、夏の歌でありながら春の花を惜しむ心が残されている。第百七十七首の慈円歌が花の陰のなさを詠んだのと同じく、夏に入ってなお春を振り返る位置にある。
さくらあさ:麻の一種
をふ:麻の生えているところ
したくさ:下に生える草
あかず:満ち足りない。見飽きない
- 作者
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待賢門院安芸
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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