- 歌の意味
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時鳥の声を待つあいだは、片岡の杜の木の雫に立ち濡れていようか。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 191
詞書「賀茂にまうでて侍りけるに、人の時鳥鳴かなんと申しける、曙、片岡の梢をかしく見え侍りければ」
時鳥を待つ心を詠む。詞書によれば賀茂に参詣した折、同行の者が時鳥に鳴いてほしいと言い、明け方の片岡の梢が趣深く見えたので詠まれた歌である。
作者の紫式部は『源氏物語』の作者として知られる。藤原為時の娘で、一条天皇の中宮彰子に仕えた。巻第一の第四十八首の詞書にある大弐三位は娘にあたる。
場面は夏の明け方、場所は山城国の片岡である。賀茂の社に属する杜で、巻第一の第十九首で詠まれた大和国の片岡とは別の地である。
直接の契機は、賀茂参詣の折に時鳥を待ったことである。
初句
二句「時鳥声待つ程は」は、声を待っているあいだは、の意である。待つ時間そのものが主題として置かれる。
三句「片岡の」で場所が定まる。
四句「杜の雫に」の「雫」は木の葉から落ちる水滴をいう。明け方であるから、夜のうちに置いた露が落ちるのである。
結句「立ちや濡れまし」の「や」は疑問の係助詞、「まし」はためらいを含む意志の助動詞で、立ち濡れていようか、どうしようか、の意になる。巻第二の第百二首の師実歌にも同じ「まし」が用いられていた。
雨に濡れるのではなく、木の雫に濡れるという設定であり、鳥を待つあいだの時間の長さが、濡れるほどという形で示される。声を待つという主題は、次の第百九十二首以下でも繰り返される。
しづく:木の葉などから落ちる水滴
まし:ためらいを含む意志を表す助動詞。〜しようか
- 作者
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紫式部
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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