- 歌の意味
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時鳥が深山を出るという、その初声を、どの家の誰が聞いているのだろう。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 192
詞書「賀茂に籠りたりける暁、郭公の鳴きければ」
時鳥の初声を主題とする。詞書によれば賀茂に籠っていた明け方に時鳥が鳴いたので詠まれた歌である。前歌と同じく賀茂を舞台としており、二首が並べて置かれている。
作者の弁乳母は鎌倉時代初期の女房歌人である。生没年は伝わらない。
場面は夏の明け方、場所は賀茂である。
直接の契機は、賀茂に籠っていた明け方に時鳥の声を聞いたことである。
時鳥は春のあいだ山にいて、夏になると里へ下ると考えられていた。その年の最初の声を初声といい、これを聞くことが重んじられた。
初句「時鳥」で対象を掲げる。
二句「深山出づなる」の「なる」は伝聞推定の助動詞で、深山を出るという、の意になる。実際に見たのではなく、そう言われているという形である。
三句「初声を」で、その年最初の声が示される。
四句
五句「いづれの宿の誰か聞くらん」の「か」は疑問の係助詞、「らん」は現在推量の助動詞である。自分は今それを聞いたのだが、ほかの誰が聞いているのだろう、という問いになる。
詞書によれば作者自身は声を聞いている。それでもなお他人の耳を思うのは、初声を聞くことが貴ばれたためであり、自分だけが聞いたのかどうかを気にする心が働いている。前歌が待つ側の歌であったのに対し、この歌は聞いた側の歌であり、二首が対をなす。
みやま:奥深い山
はつこゑ:その年に初めて聞く鳴き声
なり:伝聞推定の助動詞
- 作者
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弁乳母
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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