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時鳥まだうちとけぬ忍び音は
来ぬ人を待つ我のみぞ聞く

歌の意味
時鳥の、まだ声を開ききらない忍び音は、来ない人を待っている私だけが聞いているのだ。
鑑賞
巻第三 夏歌 198

詞書「待客聞郭公といへる心を」
 詞書の「待客聞郭公」は、客を待ちて郭公を聞く、の意である。来ない人を待って起きている者だけが、時鳥の忍び音を聞くという趣向である。
 作者の白河院は後三条天皇の第一皇子で、譲位後に院政を始めた。本巻では第百八十首に続く二度目の登場となる。
 場面は夏の夜、場所は作者の住まいである。
 直接の契機は「待客聞郭公」の題による詠である。

 初句「時鳥」で対象を掲げる。
 二句「まだうちとけぬ」の「うちとく」は、警戒を解いて打ち解ける意である。巻第一の第三十一首の惟明親王歌では氷が解ける意と心が打ち解ける意の掛詞として用いられていた。ここでは鳥がまだ人に馴れず、声を惜しんでいることを表す。
 三句「忍び音」は、時鳥が声を忍ばせて低く鳴くことをいう。夏の初めの、まだ本格的でない鳴き声を指す。
 四句「来ぬ人を待つ」は、来ない人を待っている、の意である。時鳥の忍び音と、来ない人を待つ心とが、いずれも満たされないものとして重ねられる。
 結句「我のみぞ聞く」の「のみ」は限定、「ぞ」は係助詞で、「聞く」の連体形が結びとなる。眠らずにいる者だけが聞けるという理屈であり、待つことの報いが、待っていた相手ではなく鳥の声として与えられている。

うちとく:警戒を解いて打ち解ける
しのびね:声を忍ばせて低く鳴くこと
作者
白河院
出典
新古今和歌集
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