誰が里も問ひもや来ると時鳥
心の限り待ちぞわびにし
- 歌の意味
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どの里であっても訪ねて来るだろうかと、時鳥を、心の限り待ちくたびれてしまった。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 204
詞書は前の歌に続き「題しらず」
待ちくたびれた心を詠み、時鳥を待つ一連を締めくくる位置にある。原文では詞書が改めて記されていない。
作者の紫式部は『源氏物語』の作者である。本巻では第百九十一首に続く二度目の登場となる。
場面は夏の夜、場所は作者の住まいである。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
なお本文の初句は「たか里も」とあり、読み仮名の行の「たかさとに」と一致しない。ここでは本文の表記に従い、どの里であっても、の意に解した。
初句「誰が里も」は、誰の里であっても、の意である。自分の家に限らずどこかへ来るだろうか、という含みになる。第百九十二首の弁乳母歌が「いづれの宿の誰か聞くらん」と他人の耳を思ったのと同じく、自分以外の場所を意識している。
二句「問ひもや来ると」の「や」は疑問の係助詞、「と」は引用である。訪ねて来るだろうかと思って、の意になる。
三句「時鳥」で待つ対象が示される。
四句「心の限り」は、心の及ぶ限り、ありったけ、の意である。
結句「待ちぞわびにし」の「わぶ」はつらく思う、思いわずらう意で、「ぞ」の係り結びによって「し」の連体形が結びとなる。待ち続けてつらくなったという結びであり、第百九十九首が待つ習慣を詠んだのと並んで、待つ心そのものを主題としている。
こころのかぎり:心の及ぶ限り。ありったけ
わぶ:つらく思う。思いわずらう
- 作者
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紫式部
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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