- 歌の意味
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私の心をどうせよというので、時鳥は、雲間の月の光の中で鳴いているのだろう。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 210
詞書「後徳大寺左大臣家に十首歌よみ侍りけるによみてつかはしける」
時鳥の声が心を乱すことを、鳥への問いの形で詠む。詞書によれば後徳大寺左大臣の家で十首歌を詠んだ折に詠み送った歌である。後徳大寺左大臣は藤原実定で、次の第二百十九首の作者にあたる。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。本巻では第二百一首
第二百二首に続く三度目の登場となる。
場面は夏の夜、場所は特定されない。
直接の契機は十首歌の詠出である。
初句「わが心」を主語として立て、二句「いかにせよとて」で、どうせよというので、と問う。「とて」は引用で、鳥がそう言っているかのように読ませる。第二百一首で俊成は時鳥に涙を添えるなと命じたが、この歌では命じるのではなく問うている。同じ作者が同じ鳥に対して、命令と問いという二つの形をとっている。
三句「時鳥」で相手が示される。
四句「雲間の月の影に」は、雲の切れ間から差す月の光の中で、の意である。「雲間の月」は第百八十首の白河院歌にも用いられた語で、そちらは卯の花をその光に見立てていた。ここでは時鳥のいる場所として現れる。
結句「鳴くらん」の「らん」は現在推量の助動詞である。姿は見えず、声だけによって場所を推し量っている。第二百首
第二百二首と同じく、鳥は月や雲という手の届かない場所に置かれている。
いかにせよ:どうせよというのか
とて:引用を表す。〜といって
かげ:月や日の光
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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