時鳥鳴きているさの山の端は
月ゆゑよりも恨めしきかな
- 歌の意味
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時鳥が鳴いて入っていく、その入るさの山の端は、月が入る時よりもいっそう恨めしいことだ。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 211
詞書「郭公の心をよみ侍りける」
鳥を隠す山の端を恨むという形で、声の絶えた後の心を詠む。詞書によれば郭公の心を題として詠まれた。
作者は「前太政大臣」とあり、太政大臣の職を退いた人物であることは知られるが、誰であるかは定説を見ない。ここでは人名を当てず、原文の呼称のままとした。太政大臣は律令の官制で最も高い官職である。
場面は夏の夜、場所は山の端である。
直接の契機は「郭公の心」の題による詠である。
初句「時鳥」で対象を掲げる。
二句「鳴きているさの」は、鳴きながら入っていく意の「入る」と、地名の「入るさの山」とを重ねた掛詞である。巻第二の第百五十六首の公経歌にも同じ掛詞が用いられていた。
三句「山の端は」の「山の端」は山の稜線、山と空との境をいう。巻第一の第九十四首、巻第二の第百七十三首にも用いられた語である。
四句「月ゆゑよりも」は、月のために恨むよりも、の意である。月が山の端に隠れることを恨む歌は古くから多いが、それ以上に恨めしいと述べることで、時鳥への執着の深さが示される。
結句「恨めしきかな」は「かな」の詠嘆で結ばれる。恨む相手が鳥ではなく山であるという点に、行き場のない心の向け先が表れている。
いるさ:入るとき。またその地名
やまのは:山の稜線。山と空との境
だいじやうだいじん:律令の官制で最も高い官職
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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