- 歌の意味
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有明の月は待っていないのに出てしまったけれど、時鳥はなお山の奥深くにいることだ。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 212
詞書は前の歌に続き「郭公の心」
待たないものは来て、待つものは来ないという対比を詠む。原文では詞書が改めて記されていない。
作者の「権中納言親宗」は平親宗(一一四四〜一一九九)である。桓武平氏の出で、権中納言に至った。
場面は夏の明け方、場所は特定されない。
直接の契機は「郭公の心」の題による詠である。
初句
二句「有明の月は待たぬに」は、待ってもいないのに、の意である。第二百九首の良経歌も「有明」で始まっており、二首が同じ語を共有する。そちらは月が去った後を詠み、こちらは月が出た時を詠む。
三句「出でぬれど」の「ど」は逆接である。
四句「なほ山深き」は、なお山の奥深いところにいる、の意である。「山深し」は巻第一の第三首
第二十四首、巻第二の第百二十二首にも用いられた語で、そこでは場所の深さを述べていたが、ここでは鳥の遠さを示す。
結句「時鳥かな」は体言止めで、「かな」の詠嘆で結ばれる。待たないものが来て、待つものが来ないという不釣り合いが一首の骨組みであり、巻第三の第百七十六首が、去る春と招かぬのに来る夏衣とを対置したのと同じ構図である。
ありあけ:夜が明けてもなお空に残る月
やまふかし:山の奥深い
- 作者
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平親宗
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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