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声はして雲路にむせぶ時鳥
涙やそそく宵の村雨

歌の意味
声はして、雲の道でむせび泣く時鳥。その涙が注いでいるのだろうか、宵の村雨は。
鑑賞
巻第三 夏歌 215

詞書「百首歌たてまつりしに」
 前歌と同じく村雨を詠むが、こちらは雨を鳥の涙と見る。二首が並べて置かれている。詞書によれば百首歌を詠進した折の一首である。
 作者の式子内親王は後白河天皇の皇女で、賀茂斎院を務めた。本巻では第百八十二首に続く二度目の登場となる。
 場面は夏の宵、場所は特定されない。
 直接の契機は百首歌の詠進である。

 初句「声はして」は、声だけはして、の意である。「は」によって、声のほかは何も見えないことが示される。第百九十首以来の、声だけが聞こえるという設定がここでも働く。
 二句「雲路にむせぶ」の「雲路」は雲の中の道をいい、巻第一の第六十首にも用いられた語である。「むせぶ」は咽ぶ、声を詰まらせて泣く意である。鳴き声を泣き声として捉えている。
 三句「時鳥」で対象が示される。
 四句「涙やそそく」の「や」は疑問の係助詞である。「そそく」は注ぎかかる意で、第二百二首の俊成歌にも用いられた語である。
 結句「宵の村雨」は体言止めである。第二百一首で俊成が「涙な添へそ」と拒んだのに対し、この歌は雨そのものを鳥の涙と見ており、涙という語が同じ巻の中で拒絶と見立ての両方に用いられている。前歌が村雨を期待の徴としたのに対し、こちらは村雨を鳥の涙とし、同じ景が別の意味を与えられている。

くもぢ:雲の中の道
むせぶ:咽ぶ。声を詰まらせて泣く
よひ:日が暮れて間もないころ
作者
式子内親王
出典
新古今和歌集
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