- 歌の意味
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時鳥よ、それでもやはり疎ましく思えない心であることだ。おまえの鳴く里の、その外にいる夕暮に。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 216
詞書「千五百番歌合に」
自分のところでは鳴かず、よその里で鳴いているのを知りながら、それでも憎めないと詠む。詞書によれば千五百番歌合に出された歌である。
作者の「権中納言公経」は西園寺公経である。のちに太政大臣に至った。巻第一では第七十二首、巻第二では第百五十六首に現れた。
場面は夏の夕暮、場所は時鳥の鳴く里の外である。
直接の契機は歌合への出詠である。
初句「時鳥」で相手を掲げる。
二句「なほ疎まれぬ」の「れ」は自発の助動詞、「ぬ」は打消で、どうしても疎ましく思われない、の意になる。意志で憎もうとしてもそうならないという言い方である。
三句「心かな」で、自らの心についての詠嘆となる。
四句「汝が鳴く里の」の「汝」は、おまえ、の意の代名詞である。鳥に直接呼びかける形をとっており、他の里で鳴いていることを知っている口ぶりになる。
結句「よその夕暮」は体言止めである。「よそ」はほかの場所、の意で、第二百五首の周防内侍歌にも用いられた語である。自分は鳴き声の届かない側にいる。第二百四首の紫式部歌が「誰が里も」と他の里を思ったのと同じ立場であるが、そちらが待ちくたびれるのに対し、こちらは恨まずにいる点が異なる。
うとむ:疎ましく思う。嫌う
な:おまえ。二人称の代名詞
よそ:ほかの場所
- 作者
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藤原公経
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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