聞かずともここを瀬にせん時鳥
山田の原の杉の群立ち
- 歌の意味
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たとえ聞けなくても、ここを頼みの場所としよう。時鳥よ。山田の原の、杉の群れ立つあたりを。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 217
詞書「題しらず」
声が聞けなくとも、その場所に居続けようと詠む。詞書は「題しらず」で、詠作の事情は伝わっていない。
作者の西行法師は俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが二十三歳で出家した。巻第一では第七首
第二十七首
第五十一首
第七十九首
第八十六首、巻第二では第百二十六首に現れた。
場面は夏、場所は伊勢国の山田の原である。伊勢神宮の外宮のあたりをいい、杉の大木が茂ることで知られた。
詠まれた直接の契機は伝わらない。
初句「聞かずとも」の「とも」は逆接の仮定条件で、たとえ聞けなくても、の意になる。声が得られない場合をあらかじめ引き受けている点が、待つ歌の系列とは異なる。
二句「ここを瀬にせん」の「瀬」は川の浅瀬であるが、転じて、頼みとする場所、よりどころの意で用いられる。「せん」は意志の助動詞で、ここを頼みの場所と定めよう、の意になる。
三句「時鳥」で相手が示される。
四句
五句「山田の原の杉の群立ち」は体言止めである。「群立ち」は群がって立っていることで、巻第二の第百二十二首の経信歌にも用いられた語である。
声を得ることを目的とせず、待つ場所そのものを定めるという構えであり、第百九十九首が待つ習慣を詠み、第二百四首が待ちくたびれたのに対し、この歌は待つこと自体を落ち着き先としている。
せ:川の浅瀬。転じて、頼みとする場所
やまだのはら:伊勢国の地名。伊勢神宮の外宮のあたり
むらだち:群がって立っていること
- 作者
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西行法師
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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