今日はまたあやめのねさへかけ添へて
乱れぞまさる袖の白玉
- 歌の意味
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今日はまた、菖蒲の根までも掛け添えて、いっそう乱れがひどくなる。袖に置く涙の白玉よ。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 221
詞書「述懐によせて百首歌よみ侍りける時」
五月五日の節句を主題とする一連の始まりに置かれる。菖蒲の根と泣く音とを重ね、涙の乱れを詠む。詞書の「述懐」は自らの身の上を述べることで、その心に寄せて百首歌を詠んだ折の一首である。巻第一の第十五首の俊成歌も述懐百首の詠である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。本巻では第二百一首
第二百二首
第二百十首に続く四度目の登場となる。
場面は五月五日、場所は特定されない。
直接の契機は述懐百首の詠出である。
五月五日には菖蒲の根の長さを競う根合わせが行われ、長い根が尊ばれた。
初句「今日はまた」は、今日という節句の日にまた、の意である。日を限定して歌が始まる。
二句「あやめのねさへ」の「根」には泣く「音」が掛けられている。「さへ」は添加を表し、涙に加えて泣く声までも、の意になる。
三句「かけ添へて」は、掛け添えて、の意である。菖蒲を軒に掛ける行為と、涙に声を添える意とが重なる。
四句「乱れぞまさる」の「乱れ」は、菖蒲の根が入り乱れることと、心が乱れることの両方に働く。「ぞ」は係助詞で、「まさる」の連体形が結びとなる。
結句「袖の白玉」は体言止めで、「白玉」は真珠のように白く丸い玉をいい、ここでは涙を指す。菖蒲の根、泣く音、乱れ、玉と、草の語と心の語が一語ずつ重ねられており、節句の行事が述懐の器として用いられている。
あやめのね:菖蒲の根。泣く「音」を掛ける
さへ:添加を表す。〜までも
しらたま:真珠のように白く丸い玉。ここでは涙
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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