なべて世の憂きに流るるあやめ草
今日までかかるねはいかが見る
- 歌の意味
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世の中一般のつらさに流されていく菖蒲草。今日まで生き延びてこうしている、この根をどう御覧になるか。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 223
詞書「局並びに住み侍りけるころ、五月六日もろともに眺め明かして、朝に長き根をつつみて紫式部につかはしける」
五月五日の節句の三首目で、贈答の一組目である。詞書によれば、局を並べて住んでいたころ、五月六日に共に夜を明かし、翌朝に長い菖蒲の根を包んで紫式部へ贈った歌である。次の第二百二十四首がその返しにあたる。
作者の上東門院小少将は、一条天皇の中宮彰子、すなわち上東門院に仕えた女房歌人である。生没年は伝わらない。紫式部と親しく交わったことが知られる。
場面は五月六日の朝、場所は宮中の局である。
直接の契機は、長い菖蒲の根を包んで贈ったことである。
初句「なべて世の」の「なべて」は、一様に、総じて、の意である。世の中一般のつらさが、まず示される。
二句「憂きに流るる」の「憂し」はつらい、いとわしいの意である。「流る」は水に流されることと、身が流されるように過ごすこととの両方に働く。菖蒲は水辺に生える草であり、「流る」はその縁語でもある。
三句「あやめ草」で対象が示される。「あやめ」には物の区別、道理の意もあり、次の返歌ではその意が用いられる。
四句「今日までかかる」の「かかる」は、このようである、の意と、根が長く懸かる意とを兼ねる。「今日まで」は生き延びてきた日数を示す。
結句「根はいかが見る」の「根」には泣く「音」が掛けられている。第二百二十一首の俊成歌と同じ掛詞である。長い根を贈るという節句の行事に、生きてきたつらさを託して問いかける形になっている。
なべて:一様に。総じて
うし:つらい。いとわしい
ね:菖蒲の根。泣く「音」を掛ける
つぼね:宮中で女房に与えられた部屋
- 作者
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上東門院小少将
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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